原木市場って何? 〜 新宮市民でさえ意外と知らない?その存在について


(1)新宮原木市場ってどこにあるの?

新宮市民でさえ知らない新宮原木市場の存在、、、

「 どこに勤めているの? 」 「 新宮原木市場 (しんぐうげんぼくいちば) 」
「 え!新宮原木市場?それって何をするところ? 」

こんな会話は日常茶飯事です。

 そもそもどこにあるかと言いますと、和歌山県新宮市あけぼの。 あけぼのは何処かと言われそうなので説明しますと、市田川の水門がある付近、新宮市内の角付近になります。 市場の敷地は、道路から一段下がったとこにあるので、注意して見ないと道路からは見えません。 地図好きな人ならYahoo地図やGoogle Mapでの新宮市の衛星写真を見て、なんかだだっ広い場所があるな〜と思った人もいると思います。 新宮市内にこんなに広大な原木市場があるとは、意外と驚くかもしれませんが、ここが原木市場になります。 敷地面積は1万坪。宅地にしたら何軒建つのかといった感じですね。


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(2)叶V宮原木市場の歩み

続いて、会社概況にも載せていますが、原木市場の歴史について簡単に説明しますと、、

57年前に電柱組合っていう組織がありました。「電柱組合!?」の名前の通り、今でさえ電柱と言えばコンクリートですが、昔は全て丸太で作られていました。 その電柱用の丸太を集めていたのが電柱組合だったそうです。
 そんな中、日本は戦後の高度経済成長を迎え、木造住宅がどんどん建てられるようになり、電柱だけではなく、いやそれ以上に建築材としての需要が高まりました。 そのような時に電柱組合みたいな組織で続けていくよりも、「原木市場を作ればいいんじゃない?」という流れになり、支援してくれるところを探したところ、新宮木材協同組合が乗り出しました。
 木協が中心となって、どうせ作るならもちろん公共的な市場がいいとのことで、「今度、株式会社の原木市場を作るんだけど、公共的な市場にしたいから、木材業界の皆さん株券を買ってくれない?」といった感じで、 出資金を集め、現在の株式会社 新宮原木市場が設立されました。資本金5,000万円(1株1万円なり)の内、2,000万円は新宮木協が出資して、残りの3,000万円は、200名余りの木材業関係者がそれぞれ持ってくれています。


写真は、昔の原木市場を写したものです。 何かおかしいことに気付きませんか? 丸太が水の上に浮いている? 実は、上の衛星写真に写っていた原木市場の場所は、かつては池だったのです。 もともとは、上流から筏にして新宮まで運ばれてきた丸太。 その丸太を現在の水門付近から、原木市場がある場所に引き込み、池にためていたそうです。 そして当時その水面貯木場を囲むようにしてあった製材所がその池から丸太を引き込み、製材していました。
 

ではなぜ埋め立てられたのか?と言いますと、 図にあるように、次々とダムが建設され川をせき止め筏が流されなくなりました。 それでは原木市場が商売あがったりということで、 電源開発からの補償がなされ、水面貯木場を埋め立て陸上貯木場にする費用を出して貰い埋め立てられました。 他にも理由があり、時代の流れによって、陸路が整備され、丸太を運ぶ手段が川 ⇒ 道路になっていったのもあります。


(3)市場は市場でも、、、原木市場って木を扱うところ?

 皆さん”市場”って言葉を聞いてまず最初に思い浮かべるのは、魚市場じゃないでしょうか?沢山並べられた魚一匹一匹がセリにかけられている様子はニュースなどでよく放送されていますね。その丸太版が原木市場になります。
 丸太を出してくれる人を”木主”(魚市場でいう漁師)、丸太を買いに来てくれる人を”買主”(魚市場でいう魚店や飲食店のオーナー)と呼び、その仲介役が市場となり、市場はその販売手数料によって運営されています。

 「この丸太はどこから出てきているのですか?」とよく聞かれます。新宮原木市場には主に古座川流域(古座川町)や熊野川流域(熊野川町)からの丸太が主に出品されています。 その流域辺りには沢山の育った木があり、交通の便なども良く多くの業者が伐出を行っています。
 樹種については、誰でも耳にしたことがある”杉(すぎ)”、”桧(ひのき)”、が年間扱量の99%を占めています。 意外かもしれませんが、建築用材など一番需要があるのが杉・桧で、戦後に日本全国で多く植えられました。






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